宮地岩根さんとの<縁>はとても不思議で、
円のようにクルクルと、
いろんなひとを取り囲んでできあがっている。
そして、それは<ジープ島>からはじまっている。
数年前より少し遠いその日、
私は吉祥寺のとある店におり、
そこで、たまたま偶然隣りに座った人に、
<ジープ島>の存在を聞く。
その頃はトラック諸島と案内されたその島の在処。
<トラック>諸島の<ジープ>島。
トラックにジープ??
絶対に冗談だと思ったその島は、
その夜、マンションの部屋のPCの中で、
太陽の光に、月の光に、
人々の笑顔の光に照らされ、
ピカピカと光り輝いていて、
私はただただ、茫然とその光を浴びていた。
それからパタパタと年月が過ぎた、
一昨年のとある火曜日の夜、
私は<シナリオ>の書き方教室にいた。
映画の仕事が増えてきて、
シナリオを深く読み込む必要があったのと、
一緒にシナリオを書いてほしいという話を
受けたためだった。
その教室のクラスメイトが、
課題で、ある島の物語を書いてきた。
彼女は、シナリオを読む堂々とした声より
少し小さめの声で、
「みんな知らないと思うけど、
これはジープ島という南の島の話で・・・」
「え・・・・??今、ジープ島って言った?」←Y
前置きが長くなったけれど、
その彼女から、
<素晴らしいカメラマンがいる>と紹介されたのが、
宮地岩根さんだった。
知っている。
ジープ島の存在を知ったその日以降、私は、
何回も何回も、何十回も、
ジープ島のホームページを訪れていて、
ジープ島の記事を読んでいて、
本屋さんで<ジープ>の文字を見つけたら、
大喜びして、その本を、
その写真を見つめていたのだから。
だから・・・知っていた。
そのほとんどの写真を撮っていた
宮地岩根という人に会うその前から、
その人が、
目の前にある<心>を形に写せるカメラマンで、
その瞬間をとらえる力と、
感に優れた人であることを。
きっとそれは、
多くの努力という土台も必要としているのだろう、
ということも。
原宿のとある展示スペースで紹介された
宮地岩根さんは、
親戚のお兄ちゃんのような親しみやすい笑顔に、
鋭い眼差しをつけていて、
しかもその大きな瞳は、真っ黒な顔の中で、
夏休みに大好きな昆虫を狙う少年のように、
キラキラ光り、よく動いていた。
『楽しいことは、どこに?』
そんな言葉を放つようなその瞳が、
ファインダー越しに、最高の宝物を見つけてくる。
会ってみたくありませんか?
そんな宮地岩根というひとに。
会いにきてください。
最高にオススメです。
(大人の学校PのY)名前 | 宮地 岩根 |
1965生まれ。11歳から14歳まで石垣島で過ごし南の海のとりこになる。
1986~1989年 広告写真家の高井哲朗氏に師事。
同年独立して「宮地写真事務所」を設立。
2005年、イラストレーターの妻と共同で有限会社宮地スタジオを設立。
雑誌、広告写真を中心に活動している。
東京都阿佐ヶ谷のスタジオを基点に人物、商品を問わず撮影する一方、
プライベートで沖縄や海外の撮影をライフワークにしている。
2006年にミクロネシアのジープ島の写真集「SOUTH-ING JEEP ISLAND」 (晋遊舎)を発売。
2007年、銀座コダックサロンでジープ島の写真展を開催。
2009年から現在に至るまで「美ら海水族館カレンダー」(株ハゴロモ)を手がけている。
2010年「沖縄美ら海水族館写真集」(晋遊舎)発売。
他に、東京スカイツリーカレンダーなどの作品多数。
ホームページ http://www.iwane.net