もうだいぶ前のことになるけれど、
アーティストのマネジメントをしていた時のこと。
新人の男女のユニットで、
はじめてのライブを行うことになった時、
作曲を担当していた男の子の伴奏の力が不安で、
すごくいい曲を作る人だったけど、
伴奏がどうにも不安で(彼も相当不安がっており)
当時の私はまだアーティストに甘く、
サポートを3人つけることにしたのでした。
その3人の中のひとりとして、
他のミュージシャンから紹介されたのが、
服部さんだったのだけど、
新人くんたちのライブを前後して招待していただいた、
服部さんメインのライブや、
超大物ミュージシャンのバックで演奏される、
服部さんを見て、
大きな舞台の上で、ピカピカと光った汗を飛ばす、
大きな笑顔の服部さんを見ながら、
私は、何の体裁を整えていたのだろうと、
深く反省したのでした。
新人くんたちのライブは、
サポートしていただいた、服部さんをはじめとした、
プロフェッショナルな3人のおかげで、
はじめてにしては、とてもいいライブとなり、
新人くんふたりの高揚した嬉しそうな顔と、
まぁまぁじゃないかと言って笑顔で帰られた、
某レコード会社のプロデューサーの、
満更でもないという顔が今も忘れられないけれど、
それより何より、
その安堵より、もっともっと大きなものを、
私は服部さんからプレゼントされたのでした。
誰に向かって、ものをつくっているのか、
という<姿勢>を。
それ以来、心のガソリンがきれたらライブに伺い、
たまにお互いの近況報告をしながら、
今に至っています。
服部さんは、相変わらず、妥協のない、
今、ここでしか味わえない、
かけがえのない演奏を続けていて、
服部さんと対面しているお客様はみな、
笑顔で、リズムをきざんでいます。
服部さんに出会うと、
パーカッションを、
ブラジル音楽を教えてもらいながら、
きっと、もっと大切な生きたリズムの刻み方を、
感じてもらえる気がします。
<ブラジル>を知ると、
人生の楽しみが5割増しに。
服部さんの<パーカッション>を知ると、
これまたそのうえ5割増し。
どんだけ増しちゃうんだ!?
一緒に、リズムを刻みませんか?
(大人の学校PのY)
名前 | 服部 正美 |
血液型 | ----- |
星座 | ----- |
趣味 | ---- |
ドラム、パーカッション、ボーカル、作詞、作曲、プロデュース
1981年:サンバ・グループ「コンボ・トウシュー」結成。
シングル 「風色のサンバ」がTBS テレビドラマ主題歌となる。
1985年:渡米、N.Y.において充電期間を過ごす。
帰国後フリーのドラマーとして活動しつつ、
ラテン音楽中心のFM・AMラジオ番組DJをつとめる。
1990年:念願のブラジルへ。
その後、ラテン・パーカッショニストとして
有馬徹ノーチェ・クバーナ、今田勝&NOW ' IN、
等のレギュラーとしてライブ・レコーディングに参加。
以後、ブラジル音楽をキーワードに様々なアーティストと共演している。
小野リサ、サンディー、島田歌穂、エポ、渡辺香津美、石川さゆり、
にしきのあきら、The Boom、Orange Pekoe、Jazztronik,
等のライブやレコーディングに参加し、
1997年にはサンディーグループでフランスのカンヌ音楽祭に出演した。
2000年:日泊米混成バンド「MINASWING」活動開始しアルバム制作。
2005年:3月朝日新聞夕刊「民族楽器の旅」に掲載される。
2006年:自作曲「アタラシイキモチ」BS「おかあさんといっしょ」
に取り上げられ放送される。
2007年:singer-drumerとしてライブ活動開始。
ボサノヴァ・サンバのリズムでポップスを歌う。
2010年:青森県十和田市サンバカーニバルテーマソング制作。
2012年:Minaswingのアルバム「Mineral」がBrazilianPressAward受賞。